くれびの窪み

「――だからさぁ、今更俺にどうしろっていうんだよ」
「そうだよ。この人は知らないけどさぁ、俺なんか一体何年お前と会ってないと思ってんだよ、まったく。で、この人誰？」
「だから言ってるでしょ。この子が今度中学を受験することになって、健康診断で血液検査をした時に血液型が旦那にバレちゃったのよ。当然旦那の子供じゃないってこともね。まああたしもちょっと驚いちゃったけど」
「ふーん、だからそれが一体何の関係が？」
「バカねぇ、ここまで言ってまだわかんないの？　要するにこの子はあんたたち二人のどちらかの子供だってことよ」
「な、なんだとぉ、ちょっと待て、じゃあお前が俺をフッて結婚するって言いだした時、こいつとも付き合ってたってことかぁ？　しかも三マタかけた挙げ句旦那以外との子供を産んじまったってのか？」
「ほんとは五マタだったんだけどね、一人は死んじゃったし、一人は役人なんだけどアマゾンに熱帯雨林の調査に行ったきり行方不明なのよ。でもあなたたち二人は近場にいるし一人モンでしょ」
「ご、五マタだぁ。しかも何で近場にいるってだけで俺たち呼ばれなくちゃならないんだよ。子供の父親である可能性は他の二人にだってあるだろ」
「それがあなたたち二人はこの子と血液型が合致してるのよ。他の人は血液型がわからないんだけど、まあ死んだ人や行方不明の人を責めてもしようがないしね。それに一番よく遊んでたのはあなたたちだったし」
「ハァ……で、どうしろっての？」
「まずこの子があなたたち二人のどちらかの子供だってのは間違いないの。いい？　その上で最終的にあなたたちのどちらが父親かを探し出してその人にこの子を引き取ってもらおうってわけ」
「ふざけんな。だからってそこまで育てた子供をハイ引き取ってって簡単に渡す親がどこにいるんだよ。子供が可愛くないのか？」
「だって、旦那が自分の子供でもないのに愛情が注げないって言うんだもの。本当の父親に引き取ってもらえって。あたしだって旦那に嫌われて今更路頭に迷うのはごめんだし」
「はぁ、そんな親じゃ子供が不憫でしょうがないよ」
「じゃあ、あんた引き取ればいいじゃないか」
「それとこれとは話が違いますぅ」
「なんだそりゃ、お前子供か？」
「まあまあ、そういうことだから、とりあえず父親探しに協力してよ。で、一体どうやったら本物の父親を見つけられるのかしらね」
「そりゃあ、やっぱり顔立ちとか癖とかいろんな好みとか似てるところを探すしかねえんじゃねえか」
「顔立ちねぇ、でもやっぱり母親似なんじゃないの。そのおでこの出っ張り具合とか、鼻筋が通ってないとことか……」
「ちょっと、人の子をブサイクみたいに言わないでよ。これでもクラスの中じゃめちゃめちゃモテるんだからね」
「アホか、こっちはそのブサイクな子供の父親にされそうなんだぞ。それぐらい言わせろ」
「じゃあ、何か変わった癖とかあるのか？」
「そうねぇ、特にはないけど、強いていえば水を飲んだらしゃっくりが止まらなくなるとか、好きな物が目の前にあるとヒャッホーイって奇声をあげるくらいかしらね」
「十分特徴的で変わった癖だぞ、それ」
「ともかく、ちょっとあんたたち、ここで何か好きな物頼んでみてよ。それで様子見るからさ」
「えー、めんどくせぇ」
「協力してくれないんなら、あんたの子供だったって旦那に言いつけるからね。言い忘れたけどうちの旦那、不動産関係のブローカーやっててその筋の人たちとも付き合いあるんだから。それでその人たちに頼んで……」
「わかった、わかった。好きな物頼めばいいんだろ。えーっと、じゃあ、俺……オムライス」
「だから、子供かよって」
「じゃあ、あんたは何にすんのよ」
「俺か？　俺はぁ……じゃあハンバーグ」
「ギャハハ、はい、も一人子供発見」
「うるせえ。しょうがねえだろ、好きなんだもん。この状況で本当に好きな物を頼んだことを評価して欲しいね」
「何言ってんだ、バーカ」
「――あ、何すんの、水なんか飲んじゃ駄目でしょ」
「マ…ヒック…ママは…ヒック…本当の…ヒック…ママなんかじゃ…ヒック…ないよっ！」
「何処行くの、ちょっと待ちなさい！」
「あーあ、行っちゃった。いいじゃねえか。ちょうど厄介払いができて」
「そうだよ。でもまあこんな場所にいたら誰だって捨て鉢になって飛び出しちまうだろうけどな」
「ふーん、そんなもんかしら」


「きゃあっ！」
「ごめんよ。でも君が急に飛び出して来るもんだから避けきれなかったんだ。大丈夫かい？」
「うん……大丈夫（あれ？　しゃっくり治ってる）。そのおじさんの胸に付いているキラキラ光っているのはなあに？」
「え……あ、これかい？　これはね、アマゾンにしか生息しない珍しい蝶々のブローチだよ。きれいだろ。あ、そうだ、それじゃこれを君にあげよう」
「ありがとう。うわぁ、きれいだね。じゃあその大きな黒いケースには何が入ってるの？」
「ハハ、君は色んなものに興味があるんだね。これはねぇ、君を困らせる大人達を懲らしめるための道具が入っているんだよ」
「ふうん、おじさんはどうしてそんなものを持ってるの？」
「それはねぇ……おじさんが君の本当のパパだからだよ。ヒャッホーイ――」

　彼女の目の前にはまだ手が付けられていない赤いベリーのタルトと一杯のオーガニックブレンドコーヒーが置かれていた。そしてその向こうにはミウが休みにもかかわらず制服姿で座っていた。その青ざめた素足にはサンダルが辛うじてひっかかっていた。
「で、あなたが殺したの？」
　ミウは首を横に振った。
「わかんないよ。だってあいつと母親の現場を目撃した時、意識がすうっと遠くなって後のことは全然覚えてないんだ」
「それで気がついたら自分のベッドに寝ていたんだよね」
　ミウは首を縦に振った。
「だけどどういうわけか、わたし裸だったの。‘一糸まとわず’っていうやつ？　それにうなされて目を覚ますとなんだか体中が火照ってて、粘り気のある汗がべっとりまとわりついてるの」まだ火照りの余韻が浮かんでいるような顔でミウは言った。
「それで？」
「それで、ぼうっとしながら起き上がって手近にあった制服を着て、母親の寝室を覗いてみたら母親とあいつがベッドの上で血だらけになってたの。もちろん全裸で二人が折り重なってたみたいだけど、でこぼこした真っ赤な山みたいだったわ。ちょうどそんな感じ」とミウは彼女の前の赤いベリーのタルトを指さした。
「で、わたしに電話してきた、と」
「そうなの。もうわたしパニックになっちゃって。ねえ、わたしどうしたら……」
「まずは彼氏とお母さんの関係だけど、何も気付かなかったの？」
「うん、そういえばデートしても何かと理由を付けちゃわたしの家に来たがってたわね。でもお母さんと特に親しそうに話をしてたわけでもないし、お母さんも特にあいつのことを尋ねたりしなかったわよ。今思えばむしろお互い避けてたようなところもあったわね」
「ふうん、怪しいといえば怪しいわね」
　彼女はコーヒーを一口すすり、縁に残った唇の跡を親指の腹でぬぐった。
「お願いよ。こんなこと相談できるのはあなたしかいないんだから。何とかして」
　彼女はまるでミウの言葉が聞こえていないかのように、赤いベリーのタルトにフォークを入れて潰すようにして混ぜてから、その赤い塊を一口すくってゆっくりと口に運んだ。