Phenomenon-12006年06月30日 12時40分32秒

 車は海を抱くように緩やかなカーブを描いた湾岸道路を走っていた。エアコンの効いた車内に差し込む、夕方の海には不釣り合いな熱い日差しが膝をじりじりと焦がし、ハンドルを握る腕に力を込めさせた。
「……少し早かったわね」
 女は髪をかき上げながら地平線を目で追っていた。
「まだこんなに明るいじゃない」
 そして男の方を振り向くと、サングラスの奥から乱暴に視線を投げ付けた。
「仕方ないだろ。あのままじゃ頭がどうにかなっちまう」
 女は浮かした体をシートに深くうずめると、また地平線に目を戻した。
 テトラポットがごろごろと転がる海岸線には、子供たちがわき出るように群がり、何かを探しているように見えた。やがて岬が近づいてくると、海はさらに広大なその姿を現し始め、岬の突端ではカモメの群れが波に戯れていた。
 岬を越えた先にしばらく続く海水浴場に差し掛かると、彼らは路肩に車を停めて、人気の少ない、海辺から遠く離れた砂浜に並んで座った。
 海はいつもと変わらず彼らを優しく包み、風は潮の香りを運びながら素知らぬ顔で目の前をよぎっていった。鏡のような青い空には、動きの鈍そうな雲が所々に浮かんでいた。
「海はいいよな。胸騒ぎが体を駆け抜けて、心には詩が溢れる」
 男は熱く湿った砂をぎゅっと握りながら言った。
「何言ってんの? こんな時に」
 女が手をそっと重ねると、男の手は小刻みに震えていた。
 二人はそれから何も喋ることなく、一時間以上もの間そこにじっと座って海を眺めていた。

 地平線も赤く滲みはじめ小さな一日が終わりを告げようとする頃、二人は諦めたように砂を払いながら立ち上がり、お互いを促すようにして車に戻った。そして日の暮れてきた山あいを目指し、車を走らせた。
 車が停まっていたコンクリートの地面には赤黒い血の溜まりが出来ていて、それはいつまでも乾くことなく蠢きながら澱んでいた。