星に願いを ― 2008年07月02日 20時49分23秒
「――ユウスケ、やばいよ。アイツら、アンタのこと探してたよ」
ナオコはそう言いながら、少し楽しそうに自分の肩を僕の肩にぶつけてきた。
「ああ」
「ああ、ってのんきね。でも今日は見つかりっこないよ。アイツらまさかアタシと一緒にいるなんて思ってないからさ」
「そこはオレももひとつよくわからないとこなんだけどさ。オマエ、なんでこうやってオレといるの?」
「ウーン、そこはヒジョーに難しいとこなんだけどね。いいじゃないの、アンタとアタシが楽しければ」
「オレ、オマエといて楽しいなんて言ったか?」
「あら、楽しくないの? アタシはこんなに楽しいのに。ま、素直なオトコなんてのも魅力ないしね」
夏の夜にざわめく海辺にバイクを停めて、僕たちは人気のない砂浜に座り、暗い海から漂う誘うような香りに包まれていた。やがて遠くで大きな音が轟くと、ナオコは立ち上がり砂浜を駆け上がった。
「ねえ、今日、花火大会だよ」
僕たちは土手にバイクを置くと、町の中心を流れる川にかかる大きな橋の欄干にもたれて、河原から打ち上げられる花火を見た。
「あ、そうだ」
ナオコはバッグをひとしきりゴソゴソしたかと思うと、一冊のペーパーバックを取り出して僕の目の前に差し出した。ソール・ベローだった。
「はい、これ。読みたいって言ってたでしょ」
恐らく僕が読みたいと言ったとしたらそれはポール・セローだったと思うが、もちろん「Seize the Day」だって悪くない。
「ん、これ注文票挟んであるじゃん。まさか、オマエ……」
「バレた? うん、ちょっとついでがあったもんだから」
「何のついでだよ、ったく」
花火が終わった後も僕たちはそのまま欄干にもたれて、まるで花火の燃えかすのように瞬いている星空を眺めていた。すると一筋の流れ星がスーッと天上から山陰を目指して降りてきた。僕が慌てて振り向くと、ナオコは目を閉じて両手を合わせ、じっと流れ星の消え去る方向に向かって頭を垂れていた。
http://bunshoujuku.asablo.jp/blog/2008/07/17/3633065
ナオコはそう言いながら、少し楽しそうに自分の肩を僕の肩にぶつけてきた。
「ああ」
「ああ、ってのんきね。でも今日は見つかりっこないよ。アイツらまさかアタシと一緒にいるなんて思ってないからさ」
「そこはオレももひとつよくわからないとこなんだけどさ。オマエ、なんでこうやってオレといるの?」
「ウーン、そこはヒジョーに難しいとこなんだけどね。いいじゃないの、アンタとアタシが楽しければ」
「オレ、オマエといて楽しいなんて言ったか?」
「あら、楽しくないの? アタシはこんなに楽しいのに。ま、素直なオトコなんてのも魅力ないしね」
夏の夜にざわめく海辺にバイクを停めて、僕たちは人気のない砂浜に座り、暗い海から漂う誘うような香りに包まれていた。やがて遠くで大きな音が轟くと、ナオコは立ち上がり砂浜を駆け上がった。
「ねえ、今日、花火大会だよ」
僕たちは土手にバイクを置くと、町の中心を流れる川にかかる大きな橋の欄干にもたれて、河原から打ち上げられる花火を見た。
「あ、そうだ」
ナオコはバッグをひとしきりゴソゴソしたかと思うと、一冊のペーパーバックを取り出して僕の目の前に差し出した。ソール・ベローだった。
「はい、これ。読みたいって言ってたでしょ」
恐らく僕が読みたいと言ったとしたらそれはポール・セローだったと思うが、もちろん「Seize the Day」だって悪くない。
「ん、これ注文票挟んであるじゃん。まさか、オマエ……」
「バレた? うん、ちょっとついでがあったもんだから」
「何のついでだよ、ったく」
花火が終わった後も僕たちはそのまま欄干にもたれて、まるで花火の燃えかすのように瞬いている星空を眺めていた。すると一筋の流れ星がスーッと天上から山陰を目指して降りてきた。僕が慌てて振り向くと、ナオコは目を閉じて両手を合わせ、じっと流れ星の消え去る方向に向かって頭を垂れていた。
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26番目の6月 ― 2008年06月15日 23時47分15秒
サヨコは水溜りを避けようとして小さくジャンプした後、前からきた自転車とぶつかってしまった。二人とも傘を差していてお互いが全く視界に入っていなかったのだ。そのまま沈んでいく小舟に乗り合わせてしまった二人のように顔を見合わせていた。水をかき出そうともせずにゆっくりと沈んでいくサヨコが見上げる薄暗い空には、黒い雲が渦を巻きながら今にも降りてきそうだった。
トオルの心は静寂の夢を叩き起こして、サヨコの目の前にその姿を現した。もたげた鎌首はうなだれることなく振り下ろされて、サヨコの湿った心を貫いていった。5回目の6月は忘れることなく訪れて、サヨコを本当にうんざりさせた。トオルはいつもと変わらずサヨコの心の中でうねりながら脈を打ち、迸る。サヨコは抗いながらも蕩けて流れ出す。そんな自分を呪いながら。
サヨコはいつも化粧をする洗面台に扇風機を置くことにした。暑い季節が近づくにつれて、化粧が崩れやすくなったからだ。洗面台の脇に据え付けてコンセントに差し、風が顔に当たるように上向きにしてからスイッチを入れた。小さな扇風機は大げさな振動と音を発しながら、サヨコの心まで乾かすような強い風を吹き出した。サヨコは目を閉じた。
その夜サヨコは風呂に入って体を隅々まで念入りに洗った。何故か今日は自分の体が愛おしく思えてしようがなかった。たおやかな腕を、くびれた腰を、柔らかな胸を、張り詰めた尻をいつまでも丹念に愛撫した。風呂から出るとゆっくりと丁寧に歯を磨き、デンタルフロスを全ての歯間に通していった。リビングにぴくりとも動かずにうずくまる猫を見て、サヨコは台所の灯りを消してからトオルの眠る寝室に向かって静かに歩いていった。
今サヨコは遥か遠い地に立つ。そこはかつて夢に見た場所であったはずだが、既に見たことのある場所だった。サヨコは一人立ち尽くし、通りすがる人に乞う。私を本当の私がいた場所に連れて行って欲しい、と。
http://bunshoujuku.asablo.jp/blog/2008/06/18/3583088
トオルの心は静寂の夢を叩き起こして、サヨコの目の前にその姿を現した。もたげた鎌首はうなだれることなく振り下ろされて、サヨコの湿った心を貫いていった。5回目の6月は忘れることなく訪れて、サヨコを本当にうんざりさせた。トオルはいつもと変わらずサヨコの心の中でうねりながら脈を打ち、迸る。サヨコは抗いながらも蕩けて流れ出す。そんな自分を呪いながら。
サヨコはいつも化粧をする洗面台に扇風機を置くことにした。暑い季節が近づくにつれて、化粧が崩れやすくなったからだ。洗面台の脇に据え付けてコンセントに差し、風が顔に当たるように上向きにしてからスイッチを入れた。小さな扇風機は大げさな振動と音を発しながら、サヨコの心まで乾かすような強い風を吹き出した。サヨコは目を閉じた。
その夜サヨコは風呂に入って体を隅々まで念入りに洗った。何故か今日は自分の体が愛おしく思えてしようがなかった。たおやかな腕を、くびれた腰を、柔らかな胸を、張り詰めた尻をいつまでも丹念に愛撫した。風呂から出るとゆっくりと丁寧に歯を磨き、デンタルフロスを全ての歯間に通していった。リビングにぴくりとも動かずにうずくまる猫を見て、サヨコは台所の灯りを消してからトオルの眠る寝室に向かって静かに歩いていった。
今サヨコは遥か遠い地に立つ。そこはかつて夢に見た場所であったはずだが、既に見たことのある場所だった。サヨコは一人立ち尽くし、通りすがる人に乞う。私を本当の私がいた場所に連れて行って欲しい、と。
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春愁 ― 2008年05月16日 00時50分24秒
彼女たちはとある地方の同じ大学に通う三人だった。三人ともこの春別々の高校を卒業したばかりだったが、入学して程なくたいそう仲良くなった。
サツキはいかにも裕福な家の令嬢といった様子で、サナエは筋肉質でしっかり者、アヤメは育ちの良さそうな小柄な娘だった。そんな三人はまるでパズルのピースがぴったり合うように意気投合し、どこへでも三人連れだって出かけ、いつも三人でかしましく喋った。彼女たちは当然のようにそれがいつまでも続くものと思っていた。
サツキが三人でバンドをやろうと言い出した時、アヤメはあまり気乗りがしないようだった。親から琴と花を習うように言われていて、と言っていたが、サツキに同級生の男とべったりくっついて歩いているところを見られてしまった。それ以来サツキはあからさまにアヤメを避けるようになり、サナエも何となくアヤメを疎んじるようになってしまった。
それからしばらくして、サツキが親に買ってもらったばかりの車に乗ってサナエの家に遊びに来た。
「今日はいい天気だし、ドライブにでも行きましょうよ」
「いいわね」
「そうだ、今度の連休に二人で東京に遊びに行かない? もちろん泊まりがけで。なんなら車で行ってもいいわね」
浮かれるサツキにサナエが少し口早にすまなそうな顔で言った。
「連休はね、家の田植えを手伝わなきゃいけないのよ。ごめんなさい」
「……そう」
サツキはしばらく落とし物でも捜すように辺りに視線を泳がせていたが、やがて何かを見つけたようにその目を止めた。
「――私、用事を思い出したわ」
そう言うと、庭に停めてあった真っ赤なルノー・サンクのドアを開けて体を滑り込ませた。そしてサナエの方を一度も見ずに車をバックさせて道に出ると、大げさなエンジン音を残して走り去った。
車が去ったその向こうには新しい苗を待つばかりの水田が広がり、水面は春の陽光を鈍く反射させながらいつまでも風に揺れていた。
http://bunshoujuku.asablo.jp/blog/2008/05/17/3518160
サツキはいかにも裕福な家の令嬢といった様子で、サナエは筋肉質でしっかり者、アヤメは育ちの良さそうな小柄な娘だった。そんな三人はまるでパズルのピースがぴったり合うように意気投合し、どこへでも三人連れだって出かけ、いつも三人でかしましく喋った。彼女たちは当然のようにそれがいつまでも続くものと思っていた。
サツキが三人でバンドをやろうと言い出した時、アヤメはあまり気乗りがしないようだった。親から琴と花を習うように言われていて、と言っていたが、サツキに同級生の男とべったりくっついて歩いているところを見られてしまった。それ以来サツキはあからさまにアヤメを避けるようになり、サナエも何となくアヤメを疎んじるようになってしまった。
それからしばらくして、サツキが親に買ってもらったばかりの車に乗ってサナエの家に遊びに来た。
「今日はいい天気だし、ドライブにでも行きましょうよ」
「いいわね」
「そうだ、今度の連休に二人で東京に遊びに行かない? もちろん泊まりがけで。なんなら車で行ってもいいわね」
浮かれるサツキにサナエが少し口早にすまなそうな顔で言った。
「連休はね、家の田植えを手伝わなきゃいけないのよ。ごめんなさい」
「……そう」
サツキはしばらく落とし物でも捜すように辺りに視線を泳がせていたが、やがて何かを見つけたようにその目を止めた。
「――私、用事を思い出したわ」
そう言うと、庭に停めてあった真っ赤なルノー・サンクのドアを開けて体を滑り込ませた。そしてサナエの方を一度も見ずに車をバックさせて道に出ると、大げさなエンジン音を残して走り去った。
車が去ったその向こうには新しい苗を待つばかりの水田が広がり、水面は春の陽光を鈍く反射させながらいつまでも風に揺れていた。
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飛梅 ― 2008年03月15日 11時22分40秒
電車を降りて運賃を精算してから改札を出る。駅前のロータリーから商店街のアーケードになっている長い参道を抜けて、門をくぐり脇の細道を通って境内に入った。
やはりここでもあちらこちらで梅がほころび、清らかな香りを辺りに振りまいている。振り返るとそこには彼女が柔らかな笑顔でこちらを向いて立っていた。
やあ、と声をかける。彼女は黙ったまま小さく頷く。梅の花のように静かに薫りながら決して喋ることはない。
昔二人で太宰府を訪れた時、彼女は梅の木の前で「もし私が死んでも、この梅が咲く頃には必ず戻ってくるわ」と言った。やがて彼女は白い面影となり、僕は転勤を繰り返す生活の中で、毎年この季節になると近くの天神様を訪ねるようになった。
彼女と会うのは二年ぶりだ。去年は仕事が忙しくて時間が取れなかった。彼女は最初その事を責めるように悪戯っぽい顔で僕を見た。
――でも来てくれたのね。とても嬉しいわ――
――うん、今度はこっちに転勤になったんだ――
――そうね、お仕事大変じゃない? 私が言うのも変だけど体にだけは気を付けてね――
――そうだね、大丈夫だよ。体には気を使ってるし仕事も順調だ――
――やっぱりそろそろ誰かと一緒になった方がいいんじゃない? 私の事だったら気にしないで。覚悟は出来てるから――
境内を一陣の風が吹き抜け、彼女の姿をかき消した。
それから僕は社務所でおみくじを引いた。ふとあの時彼女が引いたおみくじには何と書いてあったのだろうと思った。そして帰りの電車に揺られながら、彼女の変わらぬ想いとそれを引き受けていくということについて考えた。
電車を降りると改札を出て夕暮れの家路を急いだ。緩やかな坂を上り切った所で我が家が見えてくる。玄関のドアを開けると犬が飛んできて僕の足に纏わりつき、「お帰りなさい。遅かったのね」と台所に立つ妻が顔も見せずに言った。
どんな形にせよ、何処にでも誰にでもそれぞれの春はやってくるのだ。
http://bunshoujuku.asablo.jp/blog/2008/03/17/2767545
やはりここでもあちらこちらで梅がほころび、清らかな香りを辺りに振りまいている。振り返るとそこには彼女が柔らかな笑顔でこちらを向いて立っていた。
やあ、と声をかける。彼女は黙ったまま小さく頷く。梅の花のように静かに薫りながら決して喋ることはない。
昔二人で太宰府を訪れた時、彼女は梅の木の前で「もし私が死んでも、この梅が咲く頃には必ず戻ってくるわ」と言った。やがて彼女は白い面影となり、僕は転勤を繰り返す生活の中で、毎年この季節になると近くの天神様を訪ねるようになった。
彼女と会うのは二年ぶりだ。去年は仕事が忙しくて時間が取れなかった。彼女は最初その事を責めるように悪戯っぽい顔で僕を見た。
――でも来てくれたのね。とても嬉しいわ――
――うん、今度はこっちに転勤になったんだ――
――そうね、お仕事大変じゃない? 私が言うのも変だけど体にだけは気を付けてね――
――そうだね、大丈夫だよ。体には気を使ってるし仕事も順調だ――
――やっぱりそろそろ誰かと一緒になった方がいいんじゃない? 私の事だったら気にしないで。覚悟は出来てるから――
境内を一陣の風が吹き抜け、彼女の姿をかき消した。
それから僕は社務所でおみくじを引いた。ふとあの時彼女が引いたおみくじには何と書いてあったのだろうと思った。そして帰りの電車に揺られながら、彼女の変わらぬ想いとそれを引き受けていくということについて考えた。
電車を降りると改札を出て夕暮れの家路を急いだ。緩やかな坂を上り切った所で我が家が見えてくる。玄関のドアを開けると犬が飛んできて僕の足に纏わりつき、「お帰りなさい。遅かったのね」と台所に立つ妻が顔も見せずに言った。
どんな形にせよ、何処にでも誰にでもそれぞれの春はやってくるのだ。
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猫に鈴 ― 2008年01月09日 10時44分36秒
ネズミたちが集まって相談をしている。
赤ネズミが言った。
「どうするよ。あの招き猫がやってきてからというもの仲間は減る一方で、とうとう俺たち五匹だけになっちまったぞ。繁殖能力のない俺たちはもう絶滅寸前ってことだ」
青ネズミが言う。
「そんなこと言ったって、あいつは人間たちが寝静まってからでかい図体のくせに音も立てずに動き回って俺たちを飲み込んじまうんだ。どうしようもないだろ」
緑ネズミがひらめいた。
「そういえばこんな時、昔のネズミは猫の首に鈴を付けたらしいぞ」
ピンクネズミがずっこけた。
「バカねぇ。あの太い首にどうやって鈴を付けんのよ。ばからしい」
みんな黙った。
しばらくして黄ネズミがすっくと立ち上がった。
「俺、やるよ。首に鈴を付けるのは無理だけど、俺が鈴を持ってあいつに飲み込まれれば腹の中で鈴はずっと鳴り続けるだろ。そうすればあいつの動きも手に取るようにわかるはずだ」
みんなが期待半分、心配半分で見守る中、首に大きな鈴をくくりつけた黄ネズミはその時を待った。夜が来て静かな闇に辺りが包まれると、ゆっくりと招き猫が動き出した。
「さあ、俺を食ってみろ!」
黄ネズミは招き猫の前に躍り出て叫んだ。招き猫がひょいひょいと手招きをしてから口を大きく開けて物凄い勢いで息を吸い込むと、あっという間に黄ネズミは鈴もろとも招き猫の腹の中に消えていった。
その日から招き猫が動くたびチリン、チリンと鈴の音が響き、ネズミたちが食べられることもなくなった。
しかしある日、深夜徘徊する招き猫を気味悪がった人間は招き猫を叩き壊してしまった。中からは五十匹ほどの様々な色や形をしたおもちゃのネズミが現れ、それらは全てもとあったおもちゃ箱へと戻された。おもちゃ箱は再び大量のネズミで溢れかえった。
家の猫がふらりとやって来てしばらくおもちゃ箱の中を物色していたが、やがて鈴の付いた黄ネズミを咥え上げるといそいそとどこかへ走り去っていった。
http://bunshoujuku.asablo.jp/blog/2008/01/15/2561955
赤ネズミが言った。
「どうするよ。あの招き猫がやってきてからというもの仲間は減る一方で、とうとう俺たち五匹だけになっちまったぞ。繁殖能力のない俺たちはもう絶滅寸前ってことだ」
青ネズミが言う。
「そんなこと言ったって、あいつは人間たちが寝静まってからでかい図体のくせに音も立てずに動き回って俺たちを飲み込んじまうんだ。どうしようもないだろ」
緑ネズミがひらめいた。
「そういえばこんな時、昔のネズミは猫の首に鈴を付けたらしいぞ」
ピンクネズミがずっこけた。
「バカねぇ。あの太い首にどうやって鈴を付けんのよ。ばからしい」
みんな黙った。
しばらくして黄ネズミがすっくと立ち上がった。
「俺、やるよ。首に鈴を付けるのは無理だけど、俺が鈴を持ってあいつに飲み込まれれば腹の中で鈴はずっと鳴り続けるだろ。そうすればあいつの動きも手に取るようにわかるはずだ」
みんなが期待半分、心配半分で見守る中、首に大きな鈴をくくりつけた黄ネズミはその時を待った。夜が来て静かな闇に辺りが包まれると、ゆっくりと招き猫が動き出した。
「さあ、俺を食ってみろ!」
黄ネズミは招き猫の前に躍り出て叫んだ。招き猫がひょいひょいと手招きをしてから口を大きく開けて物凄い勢いで息を吸い込むと、あっという間に黄ネズミは鈴もろとも招き猫の腹の中に消えていった。
その日から招き猫が動くたびチリン、チリンと鈴の音が響き、ネズミたちが食べられることもなくなった。
しかしある日、深夜徘徊する招き猫を気味悪がった人間は招き猫を叩き壊してしまった。中からは五十匹ほどの様々な色や形をしたおもちゃのネズミが現れ、それらは全てもとあったおもちゃ箱へと戻された。おもちゃ箱は再び大量のネズミで溢れかえった。
家の猫がふらりとやって来てしばらくおもちゃ箱の中を物色していたが、やがて鈴の付いた黄ネズミを咥え上げるといそいそとどこかへ走り去っていった。
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心の切干大根 ― 2007年10月28日 19時30分02秒
結婚してもう二十年近く経つが、我ながらよくここまで我慢したものだ。何しろ女房は料理が苦手でセンスのかけらもないのだ。付き合っていた頃ももちろんほとんど外食だったが、家で何か作る時にはもっぱら私が包丁を握った。
結婚後も基本的に状況は変わらず、女房は料理を習おうとするわけでもなく、友達と飲み歩き、週末は私と外食をした。
そんな女房もときおり気まぐれで何か簡単なものでも作ろうとしたが、カレーには肉を入れ忘れるし、スパゲティはべちゃべちゃでアルデンテの面影はどこへやら。私は泣く泣く女房に台所への立ち入り禁止を宣言した。
思えば私の母も料理が苦手だった。子供の頃台所に立つのは父ばかりだったのを思い出す。母に、ひょっとして料理苦手だった? と訊いたらペロリと舌を出された。私は女の旨い手料理にとことん縁のない星回りらしい。
私のような不幸な子供を増やさないようにと子供を作らなかったのもまずかった。私は典型的な肥満体型で生え抜きの成人病予備軍になっていた。糖尿病に関してはそろそろ第一線に躍り出ようかという勢いだ。
料理が上手い女のところに通いつめたりもしたが、よそいきの味でどうも何かが物足りない。
ある日、帰ると女房がいて夕食の用意がしてあった。納豆に鰆の西京焼き、切干大根といった簡単な食事だったが、女房が魚を焼き、切干大根を作ったのだという。食べてみるとべらぼうに旨いわけではないが、必要にして十分、そして何故かホッとできる味だった。ああ、旨いよ、と女房に言うととても嬉しそうに笑った。私の体を気遣ってこのところこつこつ勉強していたのだそうだ。何でそれをもっと早くやらなかったのかと注意したらまたしばらくの間作ってはもらえなかったが、今ではひじきや肉じゃがもレパートリーに加わりささやかながら日々充実してきている。
今はこの時々女房が作ってくれる粗食がとても旨く感じる。体にもいいのだろうが、何より心にいい。
http://bunshoujuku.asablo.jp/blog/2007/10/29/1876877
結婚後も基本的に状況は変わらず、女房は料理を習おうとするわけでもなく、友達と飲み歩き、週末は私と外食をした。
そんな女房もときおり気まぐれで何か簡単なものでも作ろうとしたが、カレーには肉を入れ忘れるし、スパゲティはべちゃべちゃでアルデンテの面影はどこへやら。私は泣く泣く女房に台所への立ち入り禁止を宣言した。
思えば私の母も料理が苦手だった。子供の頃台所に立つのは父ばかりだったのを思い出す。母に、ひょっとして料理苦手だった? と訊いたらペロリと舌を出された。私は女の旨い手料理にとことん縁のない星回りらしい。
私のような不幸な子供を増やさないようにと子供を作らなかったのもまずかった。私は典型的な肥満体型で生え抜きの成人病予備軍になっていた。糖尿病に関してはそろそろ第一線に躍り出ようかという勢いだ。
料理が上手い女のところに通いつめたりもしたが、よそいきの味でどうも何かが物足りない。
ある日、帰ると女房がいて夕食の用意がしてあった。納豆に鰆の西京焼き、切干大根といった簡単な食事だったが、女房が魚を焼き、切干大根を作ったのだという。食べてみるとべらぼうに旨いわけではないが、必要にして十分、そして何故かホッとできる味だった。ああ、旨いよ、と女房に言うととても嬉しそうに笑った。私の体を気遣ってこのところこつこつ勉強していたのだそうだ。何でそれをもっと早くやらなかったのかと注意したらまたしばらくの間作ってはもらえなかったが、今ではひじきや肉じゃがもレパートリーに加わりささやかながら日々充実してきている。
今はこの時々女房が作ってくれる粗食がとても旨く感じる。体にもいいのだろうが、何より心にいい。
http://bunshoujuku.asablo.jp/blog/2007/10/29/1876877
待つ女 ― 2007年10月25日 14時15分54秒
女は店の仕込みが終わると、いつものようにカウンターの後ろの壁にもたれてタバコを吸った。右手の人差し指と中指でタバコを挟んでピストルの銃口にキスでもするように咥え、その肘を左手でくるむように支えた。長めのスカートのスリットから覗く生身の足は、たっぷりとしたボリュームを湛えながら紫色のパンプスに吸い込まれていった。ソバージュ崩れの前髪越しに稲妻が走った跡のような古傷が見え、女はそれをカモフラージュするように前髪を左手の指で上から下へ何度も梳きおろした。
女があまり気乗りがしない様子で店を開けると、それを待っていたように一人の男が入ってきた。男はいつもと同じカウンターの右端の席に座り新聞を拡げた。女は黙ってコーヒーを淹れると男の前にガチャンと音を立てて置いた。頭頂部が寂しくなった頭に赤ら顔の男は、眼鏡の奥から女の動きを追った。
「――今日は涼しくなりそうだね」
「そうね――」
「そりゃあもうとっくに彼岸も過ぎてるんだ。いい加減涼しくなってもらわなくちゃ困るよ。何事にも潮時ってものがある。そうだろ?――」
男はそう言うと女の手をとり手のひらを開いて握りしめた。二つの手は蠢きながら絡みあい一つになった。女の中指の爪には不吉な黒い斑点が二つ三つ浮かんでいる。
「わかってる。すごく嬉しいのよ。でも……」
女の心は根が生えたように動かない。店のいたる所に染み込んだ褐色の香りのように。待ち続けた想いと時間はそのままの形で錆び付いたまま溶け出すことはなかった。あの男がここに帰ってこない限りは。
二人は扉が開いて誰かが入ってきた気配に慌てて手を振りほどくと、入口の方に顔を向けた。しかしそこには誰も立ってはいなかった。
男は席を立つと勘定も払わずに入口の前で振り向いて、じゃ今夜――と言い残して帰って行った。
女はガラス扉の向こうで信号待ちをしていた自転車が動き出したのを見届けると、誰もいないはずの後ろを振り返った。
http://bunshoujuku.asablo.jp/blog/2007/10/29/1876826
女があまり気乗りがしない様子で店を開けると、それを待っていたように一人の男が入ってきた。男はいつもと同じカウンターの右端の席に座り新聞を拡げた。女は黙ってコーヒーを淹れると男の前にガチャンと音を立てて置いた。頭頂部が寂しくなった頭に赤ら顔の男は、眼鏡の奥から女の動きを追った。
「――今日は涼しくなりそうだね」
「そうね――」
「そりゃあもうとっくに彼岸も過ぎてるんだ。いい加減涼しくなってもらわなくちゃ困るよ。何事にも潮時ってものがある。そうだろ?――」
男はそう言うと女の手をとり手のひらを開いて握りしめた。二つの手は蠢きながら絡みあい一つになった。女の中指の爪には不吉な黒い斑点が二つ三つ浮かんでいる。
「わかってる。すごく嬉しいのよ。でも……」
女の心は根が生えたように動かない。店のいたる所に染み込んだ褐色の香りのように。待ち続けた想いと時間はそのままの形で錆び付いたまま溶け出すことはなかった。あの男がここに帰ってこない限りは。
二人は扉が開いて誰かが入ってきた気配に慌てて手を振りほどくと、入口の方に顔を向けた。しかしそこには誰も立ってはいなかった。
男は席を立つと勘定も払わずに入口の前で振り向いて、じゃ今夜――と言い残して帰って行った。
女はガラス扉の向こうで信号待ちをしていた自転車が動き出したのを見届けると、誰もいないはずの後ろを振り返った。
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ジョリー・ロジャー ― 2007年09月18日 01時37分00秒
――ドーンという大きな音と共に砲弾が脇腹に命中し、もはや戦闘不能となった船はただ沈没するのを待つだけだった。船体はメキメキと音をたて、中央から二つに折れ曲がって今にも海に吸い込まれそうだった。
いかにも金持ちの乗っていそうな大型クルーザーに狙いをつけ旗を掲げたまではよかったが、ふいにどこからともなく駆逐艦が現われ、にわかに戦場と化した海の上は轟音と怒号に包まれた。いかに屈強な男達が乗った海賊船とはいえ、駆逐艦を相手にそう長く持ち堪えられるものではない。敵に近づくどころか、凄まじい砲撃や銃撃を浴びて人も船もいまや瀕死の状態だった。
船長はボートに財宝の詰まった宝箱を積み込むように指示し、残りの海賊達と共に船を離れることにした。彼らの見ている前で船は断末魔の叫びを上げながら海の底に消えていった。
船に最後の別れをしたのも束の間、今度は重くなりすぎたボートに水がどんどん入ってくる。海賊達は水をかき出しながら、仕方なく宝箱を捨てようとしたがこれがピクリとも動かない。ならばと次は箱を開けて中の宝を捨てようとしたが、どうやら鍵は船と一緒に沈んでしまったようだ。こうなればボートを捨てて海に飛び込むしかない。ぐるりを地平線に囲まれた洋上だが、運が良ければどこかに泳ぎ着けるかもしれない。海賊達は覚悟を決め次々と海に身を投じた。
ボートの上では宝箱に寄り添うように一人船長が立ち、遙か遠くを見つめていた。船長はロープで自分の体を宝箱にしっかりと括りつけると、どっかと座りこみ腕を組んで目を閉じた。そして海の中から見守る海賊達の目の前で、ゆっくりとボートもろとも海中に沈んでいき見えなくなった。
海は何事もなかったように静けさを取り戻し、地平線に沈む夕陽が空と海を赤く染め上げていった。そして程なく冷たい夜の闇が舞い降りて、空と海を一つにしていった。月も星も風もない、永遠を見通せそうな暗闇が海を包んでいた――。
http://bunshoujuku.asablo.jp/blog/2007/09/18/1804116
いかにも金持ちの乗っていそうな大型クルーザーに狙いをつけ旗を掲げたまではよかったが、ふいにどこからともなく駆逐艦が現われ、にわかに戦場と化した海の上は轟音と怒号に包まれた。いかに屈強な男達が乗った海賊船とはいえ、駆逐艦を相手にそう長く持ち堪えられるものではない。敵に近づくどころか、凄まじい砲撃や銃撃を浴びて人も船もいまや瀕死の状態だった。
船長はボートに財宝の詰まった宝箱を積み込むように指示し、残りの海賊達と共に船を離れることにした。彼らの見ている前で船は断末魔の叫びを上げながら海の底に消えていった。
船に最後の別れをしたのも束の間、今度は重くなりすぎたボートに水がどんどん入ってくる。海賊達は水をかき出しながら、仕方なく宝箱を捨てようとしたがこれがピクリとも動かない。ならばと次は箱を開けて中の宝を捨てようとしたが、どうやら鍵は船と一緒に沈んでしまったようだ。こうなればボートを捨てて海に飛び込むしかない。ぐるりを地平線に囲まれた洋上だが、運が良ければどこかに泳ぎ着けるかもしれない。海賊達は覚悟を決め次々と海に身を投じた。
ボートの上では宝箱に寄り添うように一人船長が立ち、遙か遠くを見つめていた。船長はロープで自分の体を宝箱にしっかりと括りつけると、どっかと座りこみ腕を組んで目を閉じた。そして海の中から見守る海賊達の目の前で、ゆっくりとボートもろとも海中に沈んでいき見えなくなった。
海は何事もなかったように静けさを取り戻し、地平線に沈む夕陽が空と海を赤く染め上げていった。そして程なく冷たい夜の闇が舞い降りて、空と海を一つにしていった。月も星も風もない、永遠を見通せそうな暗闇が海を包んでいた――。
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幻妖 ― 2007年08月05日 17時19分30秒
それは今では思い出すことも出来ないような些細な理由だった。私は母の手を振りほどくと、真夏の夜の誘うような闇の中に飛び出していった。
少し考えてからいつもと反対側に、日頃母から行くことを固く禁じられている堤防を目指して走った。
橋の欄干を照らす明かりが降り注ぎ、空から私を手招きしているようだった。私はそのまま真っ黒な壁にしか見えない土手沿いの道を歩き出した。目が慣れるに連れて道は開け、生い茂る河原の雑草の揺らめきや震えるような川面の煌めきがさざめいた。
やがて土手に横たわるように走るローカル線の線路が見えてきた。線路の下には河原の中ほどに何故か見覚えのある小屋があり、私は引き寄せられるようにその中に入っていった。
宇宙の闇を全て放り込んだような空間がそこには拡がっていた。枯れ草と何かの動物の匂いが入り混じって鼻を塞ぎ、私は地面にへなへなと座り込んだ。
すると突然、闇の底から動物の唸るような声が聞こえた。それは深い闇に共鳴しながら小屋中に轟いた。私はビクンと体を震わせ、腰を浮かせながら少し後ずさりした。
――犬? 私は近くの空き地で見た激しい犬の交尾を思い出した。両親の寝室でも同じように父と母が絡み合っていた。私は妹と裸で抱き合い、互いの体をまさぐった。妹の手が私の股間に触れると、それはいつか私に悪戯した若い男の指になった。男はその四本しかない白く細い指で私の下着を下ろすと、しきりに感心したような声をあげた。そして男は立ち上がり腰のベルトに手をかけた。男の二の腕で黒い天使が微笑んだ――。
凶暴な獣は今も私に襲い掛かろうと、呻き声をあげながら一歩一歩近づいている。私は声も出せず動くことも出来ず、こんな小屋の中で相手の正体もわからないままに襲われてしまうのだ。
その時、列車が川を渡る音が徐々に近づいてきた。そして窓ガラスから次々に射し込む強烈な光が、私に迫りくる恐怖の姿をくっきりと照らし出した――。
http://bunshoujuku.asablo.jp/blog/2007/08/06/1706814
少し考えてからいつもと反対側に、日頃母から行くことを固く禁じられている堤防を目指して走った。
橋の欄干を照らす明かりが降り注ぎ、空から私を手招きしているようだった。私はそのまま真っ黒な壁にしか見えない土手沿いの道を歩き出した。目が慣れるに連れて道は開け、生い茂る河原の雑草の揺らめきや震えるような川面の煌めきがさざめいた。
やがて土手に横たわるように走るローカル線の線路が見えてきた。線路の下には河原の中ほどに何故か見覚えのある小屋があり、私は引き寄せられるようにその中に入っていった。
宇宙の闇を全て放り込んだような空間がそこには拡がっていた。枯れ草と何かの動物の匂いが入り混じって鼻を塞ぎ、私は地面にへなへなと座り込んだ。
すると突然、闇の底から動物の唸るような声が聞こえた。それは深い闇に共鳴しながら小屋中に轟いた。私はビクンと体を震わせ、腰を浮かせながら少し後ずさりした。
――犬? 私は近くの空き地で見た激しい犬の交尾を思い出した。両親の寝室でも同じように父と母が絡み合っていた。私は妹と裸で抱き合い、互いの体をまさぐった。妹の手が私の股間に触れると、それはいつか私に悪戯した若い男の指になった。男はその四本しかない白く細い指で私の下着を下ろすと、しきりに感心したような声をあげた。そして男は立ち上がり腰のベルトに手をかけた。男の二の腕で黒い天使が微笑んだ――。
凶暴な獣は今も私に襲い掛かろうと、呻き声をあげながら一歩一歩近づいている。私は声も出せず動くことも出来ず、こんな小屋の中で相手の正体もわからないままに襲われてしまうのだ。
その時、列車が川を渡る音が徐々に近づいてきた。そして窓ガラスから次々に射し込む強烈な光が、私に迫りくる恐怖の姿をくっきりと照らし出した――。
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帰郷 ― 2007年07月01日 22時00分12秒
僕が前妻と離婚した五年ほど前からすっかり足が遠のいてしまっていた田舎に、昨年結婚した妻と一緒に帰ってみようと思いたったのは、ちょうど飼っていた犬が長患いの末病死してしまい、最高気温記録を更新するほど暑くなった夏、盆の頃だった。
僕の想いを超えて、いや恐らくは僕の心の中でだけ、五年前とは何もかもがひどく変わってしまっていた。父と母は相変わらず張子細工のような幸せを紡いでいるようにみえたが、僕の顔を見るとただぎこちなく少し顔を歪めてみせるだけだった。もう随分前に息絶えてしまったかのようなこの空間に、僕たちは意味もなく佇んでいた。
翌日、父と母は気乗りがしない様子だったが、僕が是非にと頼んで墓参りに同行させてもらった。父の運転する古いクリーム色の小型車に揺られながら三十分ほどで墓地に着いた。母は昔と同じように、どの墓に誰が眠っているのか一つ一つ説明してくれた。
帰りに立ち寄った父の実家で、伯父は妻が挨拶するのを聞いているのかいないのか、果たして前妻と別人であることがわかっているのかいないのか、ただ大漁だったという鮎釣りの自慢話を延々と僕たちに語って聞かせた。
祖母は僕の顔を見ると相好を崩し、「よう帰ったのぉ」と言って迎えてくれた。何故だか祖母の回りだけは生き生きと空気が息づいていて、僕は妻にカメラを渡し、記憶の限り生まれて始めての祖母と二人だけの写真を撮った。
帰る時、車に乗り込んだ僕たちの傍らに女の子が立っていた。いとこの子供だったか、それとも近所の子か、日に焼けた顔と大きな瞳でじっと僕を睨むように見ていた。
写真には祖母の穏やかで和やかな顔と、情けないくらい神妙で幼い顔をした僕が並んで写っていた。妻は「あなたのこんな顔始めて見るわ。どうみてもおばあちゃんとその孫って以外あり得ない写真よね」と、少し得意げな顔で言った。
そして僕たちは数年後、遺影となったその写真で祖母と再会することになった。
http://bunshoujuku.asablo.jp/blog/2007/07/02/1619123
僕の想いを超えて、いや恐らくは僕の心の中でだけ、五年前とは何もかもがひどく変わってしまっていた。父と母は相変わらず張子細工のような幸せを紡いでいるようにみえたが、僕の顔を見るとただぎこちなく少し顔を歪めてみせるだけだった。もう随分前に息絶えてしまったかのようなこの空間に、僕たちは意味もなく佇んでいた。
翌日、父と母は気乗りがしない様子だったが、僕が是非にと頼んで墓参りに同行させてもらった。父の運転する古いクリーム色の小型車に揺られながら三十分ほどで墓地に着いた。母は昔と同じように、どの墓に誰が眠っているのか一つ一つ説明してくれた。
帰りに立ち寄った父の実家で、伯父は妻が挨拶するのを聞いているのかいないのか、果たして前妻と別人であることがわかっているのかいないのか、ただ大漁だったという鮎釣りの自慢話を延々と僕たちに語って聞かせた。
祖母は僕の顔を見ると相好を崩し、「よう帰ったのぉ」と言って迎えてくれた。何故だか祖母の回りだけは生き生きと空気が息づいていて、僕は妻にカメラを渡し、記憶の限り生まれて始めての祖母と二人だけの写真を撮った。
帰る時、車に乗り込んだ僕たちの傍らに女の子が立っていた。いとこの子供だったか、それとも近所の子か、日に焼けた顔と大きな瞳でじっと僕を睨むように見ていた。
写真には祖母の穏やかで和やかな顔と、情けないくらい神妙で幼い顔をした僕が並んで写っていた。妻は「あなたのこんな顔始めて見るわ。どうみてもおばあちゃんとその孫って以外あり得ない写真よね」と、少し得意げな顔で言った。
そして僕たちは数年後、遺影となったその写真で祖母と再会することになった。
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